ザ・ハリケーン

1963年、ウェルター級チャンピオンのエミール・グリフィス をわずか1ラウンドでリングに沈め、栄光を手にしたルービン・ “ハリケーン”・カーター。だが3年後の1966年、故郷パターソンで。 殺人事件が発生する。容疑者として逮捕された彼は、人種偏見を持 つペスカ刑事の仕掛けた裁判の結果、有罪判決を受け終身刑を宣告 される。しかし自分は無実と囚人服の着用を拒み、黙々と自伝の執筆 を続ける。 そして8年後の1974年、ついに出版された自伝は大きな反 響を呼び、ボブ・ディラン、モハメッド・アリなどが釈放運動に尽力。 しかし2年後に行われた再審で再度有罪判決を受けたカーターは次第に 世間から忘れられていく。絶望にかられたカーターは支えてきた妻メイ ・セルマとも離婚し社会とのつながりを断ち切ろうとする。 レズラ・マーティンが、カーターの自伝をみつけたのは、まさに そんなときのことだった。彼はアルコール依存症の両親のもとで過ご した自分と、11歳から少年院で暮らしたカーターの生い立ちに、多く の共通点みつけ刑務所に入っても決して気高さを失わないカーターの 生きざまに心打たれ、その思いを手紙に連ねてカーターに送った。そ の交流をレズラの保護者であるテリー、リサ、サムは暖かな目で見守 っていたが、次第に彼らの胸にはカーターの力になりたいという気持 が芽生えていく。4人の励ましを受け、再び再審請求に動き出すカー ター。しかし、それが却下されたとき「これが最後の手紙だ」と4人 との音信を絶つ。 1年後、高校を卒業したレズラは、卒業証書と恋 人の写真をカーターに送った。それに応じるようにかかってきた一通 の電話。「もう耐えられない」。カーターの声に切迫した様子を聞き 取った4人は最後の闘いの場を連邦裁判所に求めた。

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