スペインの城
Castillo di Espana
更新 2000-08-08
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表紙(もくじ)
歴史: イベリア人がアフリカから渡ってきたのは 3000 B.C. 頃からである.
イベリア半島は,ローマ帝国につづき5世紀には西ゴート族が支配していた.
このときの都はトレドであった.
8世紀にはイスラム教徒が支配するようになった.
12世紀にレコンキスタ(国土回復運動=体のよい宗教戦争)によってキリスト教徒が領土を拡げ,
イスラム教国は南部のグラナダ王国だけになった.このときの王城が
アルハンブラ宮殿 である.
15世紀(1479) には統一国家エスパニアができ,1492 年にグラナダ王国は滅んだ.
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(1)
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アルハンブラ宮殿/グラナダ
Alhambra
(2)
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フラメンコ
キリスト教徒たちはサラセン人(イスラム)の文化を高く評価していたので,城郭にもサラセン様式が採り入れられた.
国土回復運動後に残ったイスラム教徒をムデハール(Mudejar=下層民)と呼び,彼らが職人となって作った城の様式をムデハール様式と呼んでいる.フランス語ではアラベスク(Arabesque=アラブ風)と呼ぶ.
[ついでにローマ風はロマネスク (Romanesque).]
ムデハール様式の特徴は,出入り口に 馬蹄形のアーチ を作ることである.
そのほか,塔(櫓)や胸壁にも特徴がある.塔外壁などのサラセン模様もそうである.
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(3)
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マンサナーレス・エル・レアル/マドリッド
Real de Manzanares (Manzanares el Real)
(4)
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アルカーサル/セゴビア
Alcazar de Segovia
(5)
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コカ城/セゴビア
Castillo de Coca
ヨーロッパでは,その後も戦争が続いたので城郭が近代化し,大砲を置くために塔上部の胸壁(でこぼこした部分)を削ってしまった城が多い.
さらに,城壁がなくてつまらない平らな城塞に変わってしまったところもある.
スペインでは平和な時代が続いたので,中世の城郭がそのままたくさん残っている.
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(6)
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サンジョルジェ城/リスボン(ポルトガル)
Castelo Sao Jorge
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参考文献: 『スペイン・ポルトガルの古城』太田静六. -- 吉川弘文館, 1991.