おだわらじょう もとくらぼり
小田原城 元蔵堀の発掘 No.??
小田原市にある土塁の城
2005 年 2 月 17 日(木)12:00〜13:00 曇
2005 年 2 月 28 日(月)14:50〜17:00 晴
更新 2005-03-16

表紙  (1)  (2)  (3)  (4)  (5)  (6)

 小田原駅すぐそばで,大学建設用地の緊急発掘をしていました. 近世以降の再利用の際,障子が削られたような痕跡がありました. 出土遺物は,障子直近から 18 世紀代のものが出土し,状況は混沌としていました.

堀底の障子
ここにある画像は,発掘担当者の許可をとって掲載しています.

発掘現場の地図 (Mapion)

小田原城の堀を表示した地図
発掘現場は,上図「谷津口」の右(東)側でした. JR 東海道線と新幹線との中間で,新幹線のホーム熱海寄りの脇に見えました. 江戸期には「元蔵堀」と呼ばれた場所で,近世以降も堀として存続していた箇所です.

 調査地内には 2 本の堀があり,線路に沿って,南西部(第1区)と北東部(第2区)の 2 箇所に分かれていました.それぞれ若干特徴が異なりました.
 北東部(第2区)は,最も巨大な高さ 2m 以上の堀障子が 1 基あり,それを近世の堀が上から切ってこわしているようでした.(掘っていない部分にもう 2 基ありました.) ここは,たぶん後北条氏時代の城と城外との境の堀です.

 南西部(第1区)は,谷津口の郭と幸田口の郭との仕切りの堀です. ここの平面図は,こんなふうでした.

   ↑新幹線ホーム
  北
   \
  \ \ 障子ない
   \ \
    \ \
    /\/
   /\/no.5
  /\/no.4
 /\/no.3 障子 5 基(南端の no.1 はほとんど破壊されていた)
/ /no.2
\/\no.0
 \ 障子 1 基

 南西部の堀は,緻密に障子が入っていたのですが, 障子が小さく(高さ 50cm くらい),しかも崩れたのか崩されたのか, ほとんど消えかけている障子もあり, きちんと残っている障子もありました. 北部で 90°左に曲がってその先から全く障子がなくなっていました.

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もくじ
(1)  第1区(南西部・郭間の堀)
(2)  第1区の堀底
(3)  第2区(北東部・郭外の堀)
(4)  第2区の堀底(雨上がりの状態)
(5)  第1区の堀底(雨上がりの状態)
(6)  発掘現場の位置


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NISHIMURA, Kankuro, Kazuo (nishimura@komazawa-u.ac.jp)