西村勘九郎という名
更新: 2002-07-24
西村勘九郎 は、戦国時代に美濃の国の領主だった“斉藤道三”の父親の名です
(以前は本人の名と思われていましたが、最近の研究では親のようです)。
勘九郎 は、専門家が“排行名”と呼ぶ仮名 (=通称)の一種であり、“三郎”や“新九郎”などと同様に一般的な名です。
現代の“なかむら”勘九郎とは無関係 です。あしからず。 m(_ _)m
名 |
使用開始日 |
出 典 |
法蓮坊 | | 『美濃国諸旧記』 |
松浪庄五郎 | | 『美濃明細記』『常在寺記録』 |
西村勘九郎 | | 『美濃国諸旧記』 |
長井新左衛門尉 | 永正十五年(1518 年)ごろ | 『汾陽寺文書』 |
↑桑田忠親著『斉藤道三』には載ってない。 |
長井新九郎規秀 | 天文 二年(1533 年)十一月二十六日 | 『長滝寺文書』 |
斉藤新九郎利政 | 天文 七年(1538 年)九月三日 | 『鷲見文書』 |
斉藤左近大夫利政 | 天文十四年(1545 年)推定四月九日 | 『阿願寺文書』 |
他多数 | | |
斉藤山城道三 | 天文十七年(1548 年)推定三月九日 | 『村山文書』 |
斉藤左近大夫道三 | 天文十七年(1548 年)推定七月二十四日 | 『西円寺文書』 |
他多数 | | |
これらのうち上からどこかまでが父の勘九郎のものであり、それ以降は斉藤道三の仮名らしいのです。
たぶん、長井新九郎からが斉藤道三でしょう。
このページの内容は、柳尚普さん(日本の城大全)にご教示いただきました。厚く御礼申し上げます。
NISHIMURA, Kankuro, Kazuo