戦争の経済への影響
1. 沿革
1.1 軍需の定義
1.2 歴史概要
"軍需"とは,軍事的行為に使用される商品,すなわち"軍需品"の生産・販売による経済活動と定義する.
平時においては民需品,戦時においては"軍需品"となる.
防需契約額の順位
1 三菱重工業
2 川崎重工業
3 三菱電機
日経平均株価前年度比が30% 以上の変動を見せた年は,40% ダウンの1950年,65% アップの1951年,47% アップの1952年,71% ダウンの1954年,36% アップの1959年,49% アップの1972年,31% ダウンの1973年,37% ダウンの1974年という結果が出た.
2.1 第二次世界大戦
1930年代の日本経済では重化学工業が著しく発展した.
大同製鋼の設備拡張が進むにつれて資本金額は増大し,積立金,引当金も日中戦争期には急増した.
大同は,当期利益が増加し,利益率も上昇しているが,配当は9% と変わらず,内部留保が増加したため積立金が急増した.資金需要を自己資本で賄うことができなくなり,社債,借入金,支払手形が増加した.
1942年上期以降自己資本で固定資産を賄うことができなくなった.
特殊鋼企業は軍需への依存を深めていった.特殊鋼専業企業の大同の場合,電気炉による特殊鋼鋼塊生産,圧延,鋳造,鍛造生産が急増した.
1944年後半になると戦局の悪化とともに原料,労働力の面から限界に突き当たり,東海地震と空襲によって設備の破壊,出勤率の低下を招き(築地工場の出勤率は,1943年87% ,44年75% ,45年59% となっている),45年になると生産は壊滅していった.
2.2 朝鮮戦争
2月6日からの休戦本会議では,全外国軍隊の朝鮮からの撤退,朝鮮問題の平和的解決,朝鮮の平和に関する諸問題の平和的解決,を討議することが提案された.
6月8日に捕虜交換協定の調印が終わった.
そして7月27日に朝鮮休戦協定が調印された.
1952年春ごろから,世界的な荷動き不振のため運賃が下向き,海運業は甚だしく経営が困難となる.
1953年7月,朝鮮戦争の休戦協定を境として世界景気は沈滞期に入り,海外物価の下落と輸出競争の激化とは,日本の輸出不振を招いた.
大手造船業者は1951・52両年に相当多数の輸出大型タンカーを受注したので,操業面では翌年半ば頃まではさしたる影響もなかった.しかしその後,タンカー市況の低調と世界的な運賃の低落樹上のため,造船界も不況に陥った.
神武景気,岩戸景気,と続く大型景気の到来に加え,1956年7月のスエズ動乱と同年11月のスエズ運河の閉鎖が,新造船需要の増大と船価の高騰を招いた.
2.3 湾岸危機と株式市場
8月1日には,新聞で"前場で円は急上昇し1ドル145円台となりクウェートは石油のスポット販売を停止,この動きは,イラクの軍事的圧力による減産と見られる."と報じられた.
クウェートに株式市場があれば,全ての株券はその価値をなくしてしまっただろう.日本の株式市場では押し寄せる不安心理を消化すべく段階的な株価の下落が続いた.
日本で最大の産油会社であるアラビア石油は,クウェートときわめて親密な関係にある.筆頭株主がサウジアラビア政府とクウェート石油公社であることからも,日本企業の中で湾岸危機の影響を一番直接的に受ける企業であるといえる.
8月8日
アメリカがサウジアラビアへの派兵を発表,+856円07銭,株価の反騰は,最悪の場合に武力による解決の可能性を評価.
8月15日
イラクのフセイン大統領が条件付ながらクウェートからの撤退を話し合う国際会議に出席する用意があるとアメリカの放送が伝え,自立反発を加速し,日経平均は急反発となった.+1439円59銭
8月29日
湾岸危機の解決の兆しが,実際に色々な局面で否定されていったと思われる.−815円97銭
10月2日
2676円55銭の急騰,幅,率ともに史上最大.
11月1日
平和解決への期待の風向きが変わったのと,円安を嫌気.−898円94銭
11月13日
11月下旬のブッシュ大統領の中東歴訪があり,当面は,大きな問題がないということで.+1041円87銭
12月7日
前日にイラクが全人質を解放と発表,和平期待が強まり全面高.+969円39銭
1月17日
多国籍軍戦端を開始.+1004円11銭
1月21日
戦争長期化懸念.−456円11銭
2月24日
多国籍軍地上戦へ突入.未明には,多国籍軍はついにクウェートとイラク南部に押し寄せ,ほぼ雌雄は決した形となった.+559円95銭
3. まとめ
3つの戦争から推測すると,戦時の場合に,平和へと向かう動きが出てくると,経済は上昇している.戦争が終われば,景気は低迷することになっている.
戦争の場所が,重要資源の主要産出国であるならば,その資源の買占めが起こる.
軍需以外の経済が健常に動いていくには,戦争状態は非常に厄介なものなのだ