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TOSS Tsutomu Matsuzaki 先生の 6年国語のページ での授業風景がおもしろいのです。
それを読んだあとで:
● 江戸時代中期の草履(ぞうり)と草鞋(わらじ)について調べてみたところ、この句の解釈についておもしろいことがわかりました。
まず、こういう説明が必要ではないでしょうか。
この共通認識がないと、授業中に意見も出にくいでしょう。 また、適切な解釈ができないでしょう。
“俳句を分析批評で教える”(明治図書)を読んでいませんが、 はたして適切な解釈をしているでしょうか。
“発問 話者は,なぜ手にぞうりを持ったのか。”に対して、
“B ぞうりが流されてしまうから。”と答えた生徒がいました。
この答え、よいですね!
草履を履かない現代の子に、よくこれが分かったと思います。
この子は、ビーチサンダルで川に入ったことのある子なのでしょうか。
“B ぞうりがぬれてしまうから。”→大事な草履が濡れてしまうから。
★発問に対する答えとしては、私はこれが最も適切だと思います。
草履を脱いで河を渡ることは、けっこうたいへんなことだったはずです。
その難儀(おおげさか)さえも“うれしさ”にしてしまうところに、
作者のおおらかさを感じます。したたかとさえ言えるかもしれません。
季節が夏だったので、幸いでした。
# この季節が冬だったとしたら、情景・感情は一変するでしょう。
また、草履を脱いで自分で渡れる(舟・人足の必要はない)程度の河なので、 作者は気楽になっているのでしょう。 それも“うれしさ”に反映しているのかもしれません。
こう考えてくると、この句は、作者の想像上のことかもしれないと思います。
事実だとしても、推敲しているうちに現実から離れてしまったのかもしれませんね。
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