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“手にざうり”の解釈

内容の更新 2005-12-13
リンク更新 2011-11-02

夏 河をこすうれしさよ 手にざうり  与謝蕪村
(夏 河を越すうれしさよ 手に草履)

TOSS Tsutomu Matsuzaki 先生の 6年国語のページ での授業風景がおもしろいのです。
それを読んだあとで:


江戸時代中期の草履(ぞうり)と草鞋(わらじ)について調べてみたところ、この句の解釈についておもしろいことがわかりました。

まず、こういう説明が必要ではないでしょうか。

この共通認識がないと、授業中に意見も出にくいでしょう。 また、適切な解釈ができないでしょう。

“俳句を分析批評で教える”(明治図書)を読んでいませんが、 はたして適切な解釈をしているでしょうか。

“発問 話者は,なぜ手にぞうりを持ったのか。”に対して、 “B ぞうりが流されてしまうから。”と答えた生徒がいました。 この答え、よいですね!
草履を履かない現代の子に、よくこれが分かったと思います。 この子は、ビーチサンダルで川に入ったことのある子なのでしょうか。

“B ぞうりがぬれてしまうから。”→大事な草履が濡れてしまうから。
★発問に対する答えとしては、私はこれが最も適切だと思います。

  1. まず、草履が濡れないように脱ぐ。
  2. 次に、河に入り足が冷え(ることを想像し)て楽しい。

草履を脱いで河を渡ることは、けっこうたいへんなことだったはずです。 その難儀(おおげさか)さえも“うれしさ”にしてしまうところに、 作者のおおらかさを感じます。したたかとさえ言えるかもしれません。 季節が夏だったので、幸いでした。
# この季節が冬だったとしたら、情景・感情は一変するでしょう。

また、草履を脱いで自分で渡れる(舟・人足の必要はない)程度の河なので、 作者は気楽になっているのでしょう。 それも“うれしさ”に反映しているのかもしれません。

その他:
当時は草履のとき足袋は履いていなかったようです(足袋)。

普通、草履は懐に入れるか帯に挟み、手はなるべく空けておくものでしょう (転んだときに危ないので)。“手に草履”は本当なのでしょうか。 いったんは草履を手にしても、実際に渡るときは懐に入れたかもしれません。 ひょっとして、転んだときの用心として、両手に草履を履かせたのでしょうか。

こう考えてくると、この句は、作者の想像上のことかもしれないと思います。 事実だとしても、推敲しているうちに現実から離れてしまったのかもしれませんね。


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NISHIMURA, Kazuo (nishimura@komazawa-u.ac.jp)