江戸城外濠の門・見附 更新 2001-10-09 |
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数寄屋橋の碑 寛永六年(西暦一六一九年)/ 江戸城外廓見附として数寄屋橋/ が初めて架けられた時は幅四間/ 長三間の木橋であった 橋名は/ 幕府の数寄屋役人の公宅が門外/ にあったのに依るという 見附/ の御門枡形は維新の際に撤去さ/ れ、ついで大正大震災後の復興/ 計画によつて完成を見た近代的/ 美観を誇る石橋が銀座の入口を/ 扼することゝなった 爾来三十年 首都交通の激増/ はこの界隈を更に変貌させた / 外濠上を高架車道が地下には地/ 下鉄が走るようになって橋も姿/ を消し こゝは渾然たる大銀座/ の一劃となった 本会は茲に旧/ 橋の遺材を以て碑を建て 感慨/ 深い東京文化の変遷を偲ぶよす/ がとした 一九五九年四月 数寄屋橋公園美化協力会 |
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