小幡城見学会

 概要(1)  全員で(2), (3)  4人で(4)  夕食(5)  縄張の考察(6)

縄張の考察
更新 2002-10-08

●縄張図茨城町HP 内)

下図が載っていた 縄張の解説(説明板) (144 kB).
     その内容を文字にしたもの (3 kB).
こんなの見る人がいるのかなぁ…
説明版にあった縄張図(不正確)
六の郭左の土橋とその下の A, B は書き足してあります.

A は土橋に対する横矢掛. B は馬出の構造になっている.

見学会の参加者には“図の二の郭=実際の本丸”説があるが,
私は“図の本丸=本丸”説を採る.図の二の郭は,右側の川
からの攻撃に対して弱すぎるからだ.

また,堀はかつて水濠だったのではないだろうか.
そうでなければ,図の上部(駐車場の箇所)にある2重の堀は
役に立たず,直接“二の郭”が攻められてしまう.

実際,国勢地図を見ると,この付近の川の水位は5mしかない.
水田を増やすために,後世(江戸時代か明治)に下流の涸沼の
出水口を掘ったことが考えられる.そうだとすれば,城が機能
していた当時の水位はもっと高かったのだろう.

水濠だったからこそ,遺構の堀がやたらに深いのだろう.
だから,五の郭の【内側】に櫓跡があるのかもしれない.
(この櫓跡は茨城町の ●縄張図 のほうがよくわかる.)

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NISHIMURA, Kankuro, Kazuo (nishimura@komazawa-u.ac.jp)