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カンボジアの寺院と城郭

更新 2015-08-27

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ヤショダラプラ時代 (1113 年以前)

プレ・ループ (Pre Rup)

961年にラージェンドラヴァルマン2世建立.ヒンドゥー教(シヴァ神).

0206-112549 20611254

タ・ケウ (Ta Keo)

10世紀末にジャヤーヴァルマン5世によって建設が開始され,王の死によって未完成のまま放置された. 「ケウじいさん」という意味(正式には Prasat Keu).ピラミッド型ヒンドゥー教寺院(シヴァ神). 東西 120m,南北 100m,5層. 主に砂岩が用いられ,基部にはラテライトが使用されている.

Ta Keo / Siem Reap / Cambodia 20605404

ピミアナカス (Prasat Phimean Akas)

10世紀末に建造.11世紀初頭に,現状の3層ピラミッド構造をスーリヤヴァルマン1世が建立.ヒンドゥー教. 東西 581m,南北 242m.「天上の寺」の意.

0207-102602 20710260
西面の階段

0207-102812 20710281
階段下の桝形

0207-103233 20710323
東面

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東方遠くに段差(バイヨンへの通路の脇)

0207-103749 20710374
頂部の神殿

0207-103807 20710380
西面の回廊

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西面の階段だけが張り出している(唯一の登り口)

0207-104347 20710434
東側(正面)から見た全体

0207-104211 20710421
段差

バプーオン (Baphuon)

1060 年頃にウダヤーディティヤヴァルマン2世が建立.ヒンドゥー教寺院だった.15 世紀以降に仏教.

Baphuon / Angkor Thom / Siem Reap / Cambodia

[8] バプーン城址 の詳細な報告

ヤショダラプラの位置の比定(考察)

2015-08-22 西村和夫

アンコールワットの前の都であったヤショダラプラ (Yasodharapura) がどこにあったかは,はっきりしていないようだ. ただし,アンコール・トムの南門外に隣接するプノン・バケン (Phnom Bakheng) を須弥山に喩え,そこを中心とする 4km 四方の堀で囲まれていた(1辺 3km のアンコール・トムよりも大きかった)ということが分かっているらしい(典拠不明)

事情により,図は削除した.

航空写真を見ると,L字形の水堀(上図左下,現在は水田)は,ヤショダラプラの南西角であろう. すると,中心との距離からして,アンコール・トム内の池 トロペアン・ドン・ミア (Trapeang Daun Mea) が,北辺ということになろう. この堀は,東にたどると,ピメアナカス (Phimeanakas) を通り,象のテラスをつきぬけて,勝利の門に至る. また,アンコール・トムの東を南北に直線的に流れるシェムリアップ川は,東側の堀だったのであろう(ただし,現在の川幅は狭い.氾濫で埋まってしまったのかもしれない)

上記のヤショダラプラの比定位置が正しいとすれば, アンコール・ワットは,ヤショダラプラの外堀を外郭として,その東南角の内側に造ったことが分かる. それに対して,後に造ったアンコール・トムは,東バライ(人造湖)は利用したが,ヤショダラプラの北辺の堀は埋めてしまったか,造営時にはすでに埋まっていたのであろう.

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NISHIMURA, Kankuro, Kazuo (nishimura@komazawa-u.ac.jp)