画像をクリックすると,2倍の画像が別画面に開きます.
961年にラージェンドラヴァルマン2世建立.ヒンドゥー教(シヴァ神).
2061125410世紀末にジャヤーヴァルマン5世によって建設が開始され,王の死によって未完成のまま放置された. 「ケウじいさん」という意味(正式には Prasat Keu).ピラミッド型ヒンドゥー教寺院(シヴァ神). 東西 120m,南北 100m,5層. 主に砂岩が用いられ,基部にはラテライトが使用されている.
2060540410世紀末に建造.11世紀初頭に,現状の3層ピラミッド構造をスーリヤヴァルマン1世が建立.ヒンドゥー教. 東西 581m,南北 242m.「天上の寺」の意.
207102601060 年頃にウダヤーディティヤヴァルマン2世が建立.ヒンドゥー教寺院だった.15 世紀以降に仏教.
2015-08-22 西村和夫
アンコールワットの前の都であったヤショダラプラ (Yasodharapura) がどこにあったかは,はっきりしていないようだ.
ただし,アンコール・トムの南門外に隣接するプノン・バケン (Phnom Bakheng) を須弥山に喩え,そこを中心とする 4km 四方の堀で囲まれていた(1辺 3km のアンコール・トムよりも大きかった)ということが分かっているらしい(典拠不明).
航空写真を見ると,L字形の水堀(上図左下,現在は水田)は,ヤショダラプラの南西角であろう. すると,中心との距離からして,アンコール・トム内の池 トロペアン・ドン・ミア (Trapeang Daun Mea) が,北辺ということになろう. この堀は,東にたどると,ピメアナカス (Phimeanakas) を通り,象のテラスをつきぬけて,勝利の門に至る. また,アンコール・トムの東を南北に直線的に流れるシェムリアップ川は,東側の堀だったのであろう(ただし,現在の川幅は狭い.氾濫で埋まってしまったのかもしれない).
上記のヤショダラプラの比定位置が正しいとすれば, アンコール・ワットは,ヤショダラプラの外堀を外郭として,その東南角の内側に造ったことが分かる. それに対して,後に造ったアンコール・トムは,東バライ(人造湖)は利用したが,ヤショダラプラの北辺の堀は埋めてしまったか,造営時にはすでに埋まっていたのであろう.
ひとつ上に戻る | |
城の科学 に戻る | |
管理人のページ に戻る |