カンボジアの寺院と城郭
更新 2015-08-23
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アンコール・ワット時代 (1113〜1145 年ごろ)
アンコール・ワット (Angkor Wat)
30 年間をかけてスーリヤヴァルマン2世が建立.ヒンドゥー教(ヴィシュヌ神).
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西大門の橋への上がり口
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西大門には,中央に3箇所の入口と両脇に2箇所の入口がある.
(
拡大図)
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横矢掛風
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寺院内の各所にアプサラ
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経蔵
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南西角
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南側入口
東門
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東門裏側
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素材はラテライト?
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外側(東側)
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東側の水堀
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城壁(これもラテライトか)
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門の横面の上
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3箇所の入口階段(東面の中央階段)
第一回廊
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中央にヴィシュヌ神,その下に自身の化身の亀クールマがいる.
ヴァースキを引っ張っているアスラが左側に,神々が右側に描かれている.
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西大門への通路と池
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北西角
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南西から
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連子格子
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十字回廊(田の字形,第二回廊の3箇所の入口に対応する廊下3列)
アンコールワットを訪れた日本武士
アンコールワットの壁や柱には,日本人参詣者の墨跡が 14 か所残っている。判読できる落書きの年代は慶長十七年 (1612) から寛永九年 (1632) までの 20 年間であり,場所はアンコールワットの十字回廊に集中している.この中回廊には(1975 年のポルポト統治までは) 200 体余りの仏像が安置されていて,千仏堂のような荘厳な雰囲気の場所であったらしい.
最も有名な墨書は,寛永九年 (1632) 正月三十日の森本右近太夫一戻(加藤清正家に仕えた森本義太夫の息子)のものである(内容: 「父の菩提を弔い老母の後生を祈るため仏像4体をアンコールワットに奉納した」).右近太夫は,アンコールワット訪問にあたって,父が重臣を務めた加藤家を辞して肥前の松浦家(水軍)に仕官している.
第二回廊
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第1段の経蔵(北西部)
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北面
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北西角(右端に中央階段の仕切り壁)
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仕切り壁(地下墓室への通路か)
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北面
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北東角
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南東角
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南面中央階段
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南西角
第三回廊
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北東角の階段上
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隅
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中央
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西大門の中央入口を北側入口から
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振り返って北端の入口
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