トップ
>
城の科学
>
訪れた城
>
ベトナムの城
> カンボジアの砦
カンボジアの砦 一覧
(Fortresses in Cambodia)
[Banteay Khmer]
更新 2015-09-06
表紙
砦 (banteay)
と名がつく寺院の集成
クメール語の "
banteay
" は,日本語では通常「
砦
(とりで)
」と訳されている.
名称が Banteay で始まる寺院(≒城郭)を,ほとんど網羅した.
考察
全てが平地の寺院である.(「
バプーン
」のような小山ではない.)
どの寺院にも,多重の周壁,堀,門による多層防御をしていて,求心性がある.
連子窓
は,
矢狭間
として解釈できそうである(バンテアイ・サムレの「
砦らしい画像
」4枚目を参照).
ただし,内回廊の入口に対しては,外側の回廊からしか
横矢
がかからない.
平面図上の回廊の形状は直線的であり,出隅による
横矢掛
のような
(インドや日本の城郭にある)
城郭らしさを示す構造はなさそうである.
注意: ページ制作者は,現地では [10] バンテアイ・クデイ しか見ていない.
画像をクリックすると,地図画像 (Google Map) が別画面に開きます.
築造
年代順
バンテアイ・チュマール以外は,
同縮尺
.
バンテアイ・スレイ
(Banteay Srei)
(C) Google 2015
バンテアイ・スレイ / アンコール遺跡群フォトギャラリー
(解説)
Wikipedia 「
バンテアイ・スレイ
」
時期:
967年にラージェンドラヴァルマン王が着工し,息子のジャヤヴァルマン5世が完成.
場所:
アンコール・トムから北東に 15km
備考:
バンテアイ・スレイの意味は「女の砦」
バンテアイ・サムレ
(Banteay Samre)
6°
(C) Google 2015
「要塞のような中に多彩な破風のレリーフ」
砦らしい画像
(最後の画像は傑作)
Wikipedia 「
バンテアイ・サムレ
」
時期:
12 世紀中頃にスーリヤヴァルマン2世(在位1113-1150年)が築造
場所:
アンコール・トムから東に 8km
備考1:
バンテアイ・サムレの意味は「サムレ族の砦」
備考2:
他と比べると,防御性(逼塞性)の高い城郭.「
砦らしい画像
」4枚目(北門)の画像を見ると,連子格子窓が矢狭間であることが推定できる. 回廊入口の突出部には,側面への横矢掛と思われる縦長の窓もある.
[10]
バンテアイ・クデイ
(Banteay Kdei)
5°
(C) Google 2015
ページ制作者の画像
Wikipedia 「
バンテアイ・クデイ
」
時期:
12 世紀末(1181 年)にジャヤヴァルマン7世が築造
場所:
アンコール・トムから東に 1.5km
備考:
バンテアイ・クデイの意味は「僧房の砦」
バンテアイ・チュマール
(Banteay Chhmar)
2°
(C) Google 2015
この縮尺だけ他の
1/5
平面図と画像
Wikipedia "
Banteay Chhmar
" (英語)
時期:
12 世紀末か 13 世紀初めにジャヤヴァルマン7世が築造
場所:
アンコール・トムから北西に 100km. シャムとの国境近く.
備考1:
バンテアイ・チュマールの意味は「猫の砦」
[
Wikipedia
(中国語)]
.
備考2:
外郭の東・西・南の各門はバイクでは通行不能らしく,迂回路ができている.
バンテアイ・プレイノコール
(英語) (Banteay Prey Nokor = Wat Nokor)
6°
(C) Google 2015
外周壁
(土塁の周壁はジャヤヴァルマン1世(802 年以前)によるという)
Wikimapia "
Banteay Prei Nokor
"
(地図)
Wikipedia "
Banteay Prey Nokor
"
(英語)
時期:
ジャヤヴァルマン7世末期(13 世紀初めか)の築造(ジャヤヴァルマン2世 802〜834 のアンコール朝最初の都)
場所:
アンコール・トムから南東に 100km.
(プノンペンの北東 60km)
備考:
プレイノコールの意味は「森の街」または「森のある土地」.また,「プレイノコール」は,サイゴン(ホーチミン市)のクメール名.ホーチミン市には,元来クメール人が居住していて,プレイノコールという地名であった.
[
Wikipedia
]
Banteay の訳語
Banteay は,中郭の1辺が 100m 程度の小さめの城郭(≒寺院)を意味する単語ではないだろうか.
Banteay は,戦術レベルの城郭(格下
(かくした)
の城)を指す用語かもしれない.
少なくとも,日本語の「砦」からイメージする,小山か山頂に拠
(よ)
ることが多い,簡易な城ではない.
Banteay の訳語として,日本の城郭用語の中では「
出城
(でじろ)
」が最も近いのではないだろうか.
方位軸の偏り
(参考)
最も古い(10 世紀末の)バンテアイ・スレイは軸が真北を向いているのに,12 世紀中期以降の寺院は,共通して軸が偏西している(バンテアイ・チュマールの西偏 2°を除けば,西偏 5〜6°).
上記の理由は,縄張り時に磁気コンパスを使ったからではない.この地域の磁気偏角は,(少なくとも 1590 年以降)ほぼ一貫して 0°であった(Wikipedia
磁気偏角
:エスペラント語).
[10] バンテアイ・クデイへ
表紙
カンボジアの城の目次へ
ベトナムの城の目次へ
ひとつ上に戻る
城の科学
に戻る
管理人のページ
に戻る
NISHIMURA, Kankuro, Kazuo (
nishimura@komazawa-u.ac.jp
)