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更新 2014-03-17 ← 2011-05-30
思い付くままのメモ
これは1個人が東北太平洋沖地震発生後 21〜27 日の1週間だけ石巻に行ったときの記憶に基づいた個人的なメモです.誤りや思い込みがあっても,責任は負えません.また,状況は日々変わっています.
これが今後の参考になれば幸いです.もし東京で大震災が発生したら,まず現地で動ける都民がボランティアをするのですから.
謝辞
- 先んじて現地入りした陸上自衛隊の施設科(工兵隊)の方々に,深く感謝いたします.道路に横たわっている船をどけ,遺体を含んでいるかもしれない土砂や廃材をいち早く除き,落ちた橋を架け,迂回路を造った皆さんの働きがなければ,物資の輸送も,情報の収集も,医師の派遣も,遺体の捜索も,ボランティア活動もできませんでした.報道にはほとんど登場しない地味な働きでしたが,非常に重要な任務でした.ありがとうございます!
- 遺体を収容なさった自衛隊員,消防士,警察官,海上保安官,行政職員その他の方々,どうもありがとうございます.(心のケア)
被災地の状況
- 牡鹿半島では,自動車用のガソリンと発電用の軽油とが不足していた.避難所では,この二つを真っ先に訴えていた.あの地では,移動ができないと,何も入手できない.法律を変えて,臨時にドラム缶からガソリンを売れるようにするという報道があったが,立ち消えになったようだ.机上で法律を論じる人に,現地の苦労は分からないだろう.現地では,もうガソリンが入手できるようになったらしい(2011年4月14日現在).
- 牡鹿半島では,プロパンコンロが不足していた(4月7日現在).あの地域ではもともとプロパンガスなので,都市よりも震災には強い.ボンベは水に浮くから,たくさん拾える.しかし,コンロがなかった.ピースボートが管理している物資倉庫にもなかった.
- 仙台市内(青葉区)では,未だにガスが使えない(4月30日現在).やっと入手できたIHクッキングヒーターを使っているそうだ.
- 道路は,センターラインで地割れを起こすことが多い.車線ごとに舗装しているからだろう.こうすると,崩れたときにも片側は残ることが多いので,一種のリスク管理になっている.
- 地山は強く,埋立て箇所は弱い.山の道路(コバルトライン)は,谷を埋めた箇所が沈下・崩落していた.地山を削った切通しは崩れない.切通しの前後が沈下していた.
- 自動車は後部が軽いので,海水面に浮き,ガードレールやフェンスに後部が引っかかっていた.
- 船は頑丈だ.陸に上がっても,原形を保っている.それだけに邪魔になる.
- 被災状況を見学(見物?)に来ている人もけっこういた.亡くなった友人宅を訪れる人もいた.
避難所の状況
- 配給センターには物資が満ちていても,現地の避難所や,避難所に属さない家には物資が不足しがちだ.これは物流の問題.これを解消するためにも,まずガソリンが必要.
- 避難所では女性の下着が不足していたようだ.避難所の長をしている男性や,男性ボランティアには言いにくいらしいので,調査に工夫が必要だろう.とくにブラジャーはサイズとカップがまちまちなので,配給が困難.
- 漁村の避難所では,もっぱら女性が働いていた.陸に上がった漁師は何もしない(できない?).
ボランティア活動の準備
- ボランティア活動をしてみたい人のために: 助けあいジャパン
- 災害時には買い占めが起こり,現地に赴くボランティアも,非常食,ラジオなどの入手が困難になる.
- ボランティア保険に加入してから現地に向かうのが原則(往路も保険の範囲内).自宅近辺の「社会福祉協議会」で加入できる.
- ボランティア保険は,学校の管理下(授業の一環)のボランティア活動には適用されなかった(平成25年から少し変更された: 保険の内容.pdf).
- 私は,ツイッターとフェイスブックに加入してから出かけた(メールが通じなくても,ツイッターなら連絡できると聞いたから).実際に,ツイッターは便利だった.東京の友人から,ツイッターやメールで道路事情などの情報支援を受けた.
- ボランティア活動に行こうとしても,どこに行ったらよいか分からない.Web ページが整っていない初期のうちは,分からないままにも出かけないと,ボランティア活動はできないだろう.
- 高速道路 SA にあるガソリンスタンドは,県ごとに管理されていて,隣の県の SA にガソリンがあるかどうかの情報をもっていない.つまり,最後に給油すべき SA がどこかが分からない(もっとも,最後の給油所は混んでいて使えない).
- 私は,行く1週間前くらいから,薄着を心がけて東北地方の気候に慣れるようにしていた.これ自体は今回特有のことだが,似たような準備はいつでもしたほうがよいだろう.
ボランティア活動
- 被災者と話をするのがもっとも辛い仕事かもしれない.漁師が「しばらく海に出られない」と言っていたのに驚いた.牡鹿半島 小網倉浜・給分浜の漁師さんたちは,4月30日から漁に出ているそうです(5月4日調べ).
- 東京から来たと聞いただけで涙ぐむ人も何人かいた.顔を見せるだけでも支援になるのかもしれない.(通信が途絶えると,実際に会うまでは,そういう支援があるという情報も入らない.)
- 調べた道路情報は,医療グループなどが翌日の活動に利用していた.
- 牡鹿半島で調べた要求「ガソリンと軽油がない」に基づいて,個人で軽油を無償で大量に配った人がいた.
- 処方箋の要る薬は,要望があっても届けられなかった(実は,厚生労働省 3月12日付 事務連絡「処方医薬品の取扱いについて」によって可能だったが,その情報は入っていなかった.).こういう例外措置の情報をどうやって現場に広めるかが課題(社協と政府との連絡).
- 衣類は仕分けが不十分なものが多かった.とくにサイズの分類が細かい靴,ブラジャーなど.仕分けられていないと,要望のものがあっても配達できない.現地の VC で仕分ける暇はない.「女児用のピンクで花柄の 12cm の長靴」を頼まれたこともあったが,もし配給所にあっても探し出すのはほぼ不可能.
ボランティアセンター (VC)
- ボランティアセンター (VC) は,各地域にある「社会福祉協議会」(社協)がサポートする.社協はとても協力的であり,よく機能していた(初期に石巻市 VC をサポートしていた宮城県大崎市社協).
- VC で活動するには,登録が必要.ボランティア保険に加入していない人は,登録時に加入することになる.
- 津波の被害が多かった今回は,毎朝,VC に登録すると,浸水家屋の「泥出し」をすることになった.もちろん任意なので,それをしないことも可能.
- 石巻 VC では,6つのグループ(ローラー,マッド,医療,リラクゼーション,炊出し,移送)に分かれ,各グループのリーダーの下で,毎日効果的に活動していた.ローラーは物資の配給,マッドは泥出し,リラクゼーショングループは整体やカウンセリング,炊出しは避難者への食事提供,移送は避難者の病院などへの送迎をしていた.私は初日夜の連絡会でローラーに所属したが,けっこう一人で行動していた.
- 夜は,VC が主催する「連絡会」で新人を紹介し,各グループの作業報告と連絡をしていた.
- ボランティアには有名人がいる.連絡会で自己紹介すると,歓声が上がるくらい.
- VC では,ボランティアの携帯を充電するサービスは行わない(実際には黙認で充電させてもらった).これからは充電サービスが必要だろう.
ボランティアの生活
- 断水時には,仮設トイレを使う.すぐに満タンになってしまうのが困りもの.毎日トイレ掃除をしてくれる偉い人がいた.連絡会で,皆で拍手して称えた.
- テント生活では,余震は全く怖くない.倒れてくるものがないからだ.地震が怖いのは,皮肉なことに家に住んでいるからなのだ.
- ボランティアには,賞味期限切れの食糧(おにぎりなど)が配られることがある(避難所には賞味期限内のものが配られる).
- 街中のコインランドリーは混んでいるし地元民優先なので,結局利用できなかった(VC は断水で洗濯ができなかった).
- 石巻市内の居酒屋では,現地の若者が盛り上がっていて,それはそれでよいはずなのだけれど,何か違和感をもってしまった.
- ほとんど金は使わない(使えない).飲物と,昼食と,ガソリンが買えるようになっても,それらだけ.私は,夕食を何回か街で摂ったので,もう少し使った.
- 往復で,被災地に近いホテルは満室だったが,石巻に行く/帰りだと言ったら部屋を提供してくれた.ホテルも陰ながら協力してくれている.感謝!
機器
- ラジオ石巻 (FM) は電波が弱くて聴取できなかった.
- 無線機は相手が見つからず,利用できなかった.ただし,探している時間と気力がなかっただけかもしれない.
感想
- 平常時のスーパーや宅配の物流システムはよく機能している.とてもよく機能している! それを役所やボランティアが臨時に代行しようとしても,あまねく配布するのは,かなり難しい.
- 阪神淡路大震災のとき行くことができず,とても歯がゆい思いをした.それが,今回の私の行動の原動力になっていると思う.今回行動できなかった人も,次回には行動できるかもしれない.
- たまたま4月の仕事が1か月延期になって,時間ができたから行くことができた.仕事がある人は行きたくても行けないから,その代理で行ったと思っている.
- テントが凍った.東北の「春一番」は強烈だった.テントが吹き飛ぶかと思ったくらい傾いでいた(実際にいくつかのテントが吹き飛ばされた).夜中にシュラフを出て,ジャンパーを着て,靴を履き,懐中電灯を持って,仮設トイレまで風に吹かれながら歩いて行くというのが,けっこう辛い作業だった.
教訓
- リアス式海岸で津波が来たら,奥に逃げても間に合わない.幅の狭い奥に行くほど,津波は高くなる.左右の山に登るべき.
- 一家に1台は電磁調理器(IHクッキングヒーター)の準備が必要.通常,電気は数日で復旧するが,ガスの復旧には数か月かかるから.災害が起こると,たちまち売り切れる.仙台から出張で来ていた友人は,東京で探し出して持ち帰った.湯ぐらい沸かせないと,何も飲食できない.
- 断水時の用品として,「シャワートイレ用トイレットペーパー」が有効.厚めで吸水性が高く,容易に融けないので便利.食器を拭いたり,いろいろと使い途がある.