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西村和夫の状況(詳細版)

改訂 2026-02-152025-10-08 ← … 2024-12-10 作成

このページを,SNS などから参照してもかまいません.

大山阿夫利神社から見た 江の島の向こうに上がった初日 2025
大山 阿夫利神社 下社から見た 江の島の向こうに上がった初日 (2025 年元旦)

もくじ

症状の発見
治療  …… 2026-02-15 ← 2025-10-08 ← 09-29 ← 05-04 改訂
現状  …… 2026-02-15 ← 2025-09-29 ← 05-04 改訂
近況  …… 2026-02-15 ← 2025-10-08 ← 10-03 ← 09-29 ← 06-06 改訂
お詫び  2026-02-15 改訂

詳細版だけにある項目

治療実績  ……… 2026-02-15 ← 2025-03-05 改訂
今後の予定  …… 2026-02-15 ← 2025-10-08 改訂

戒名

付録 1.  物理化学の散歩道
付録 2.  私の心理と死の受容
付録 3.  受戒の画像

簡易な報告だけでよい方は,こちらをご覧ください →  簡易版

症状の発見

私が食道癌(原発部位は胃のすぐ上)になっていることが分かりました. すでに首のリンパ節に転移しています. というより,首のリンパ節が腫れていることに 2024 年 7 月中旬に気づきました. 首の腫れ以外の自覚症状は,その時も現在も全くありません. その後,慶應義塾大学病院で,首の生検CTPET,食道の内視鏡検査と生検をしました. 病名(原発部位=食道)が確定し,抗がん剤治療を開始したのは 8 月末です.

進行程度は T3 です.つまり,幸い食道周囲の他臓器(大動脈,気管)には浸潤していません. PET(ポジトロン断層法)検査で確認できる転移先は首のリンパ節だけですが,リンパ系を通して全身に広まっているでしょう. 普通の癌のレベルでいえば,4段階中のステージ IV です. 状況はかなり深刻ですが,精神的には全く悲観はしていません.

治療

2025-01-07_シスプラチン+吐き気止め 慶應義塾大学病院に入院して,化学療法(抗がん剤治療)をすることにしました. コロナ禍の後遺症によって,基本的に面会はできません. (慶應病院の食事はまず過ぎるので,山王病院に転院するかもしれません.)

食道癌の抗がん剤として,まず標準治療の3種類キイトルーダシスプラチン5-FUを用いていました.キイトルーダは免疫チェックポイント阻害剤の一つであり,ノーベル賞受賞の研究に基づく新薬「オプジーボ」の類です(保険適用).

2024-08-26〜10-22:  1 週間入院して点滴をし,退院後 2 週間を空けて,それで 1 コース. このコースを,まず 3 回繰り返しました.

その後,効果が良好でリンパ節などの腫瘍がもし消滅すれば,手術をしたかもしれません. するとなると,食道は単純な器官なのに,胸部と腹部とを貫通しているので,十数時間もかかる大手術になるようです. しかし,Wikipedia [食道癌] にはこう書いてあります. 「手術を行った場合の…….IV期は「転移あり」を意味するが,生存期間中央値が1年以下である.」 担当医にしつこく尋ねたところ,臨床的にもそんな感じだそうです. というわけで,手術はほぼしないつもりでした.

11-14〜01-12:  結局,転移先の腫瘍が完全には消滅せず,手術はできませんでした.その代わりに抗がん剤治療がさらに 3 コース(第 4~6 コース)追加されました.その後は,3 週間ごとに免疫チェックポイント阻害剤を点滴する予定です.

2025-02-04〜02-24:  原発部位の腫瘍は小さくなったのですが,転移先の首のリンパ節の腫瘍が大きくなり,そこに 30 回の放射線治療をすることにしました. 同時に1週間の入院をして,5-FU だけの点滴もしました(1回の量は少し少なくしました).

02-25〜03-19:  放射線治療の開始後 2 週間で効果があり,首の腫瘍が小さくなりました.それで,照射範囲を少し縮小しました. 3月 5日から1週間の入院をして,5-FU だけの点滴もしました.

05-02:  1週間前に行った CT 検査の結果,首の腫瘍がかなり小さくなっていました.内視鏡検査の結果では,食道の腫瘍は前回とあまり変わっていないようです.それで,ひとまず様子を見ることにしました.その間に以前に生検した組織の「がん遺伝子パネル検査」をすることにしました(2019 年から保険適用).

07-04:  1週間前に行った CT 検査の結果,首と食道の病巣は前回とあまり変わっていないようです.それで,引き続き様子を見ることにしました.前回の「がん遺伝子パネル検査」の結果,次のことが分かりました。① キートルーダなどの免疫チェックポイント阻害剤が効きやすい.② DNA の欠損は遺伝によるものではない.このうち,① のキートルーダはすでに実施しました.② は,癌が父母からの遺伝ではなく,子にも遺伝しないことを示しています.

10-06:  1週間前に行った CT 検査の結果,首の腫瘍が増殖していました.それで,治験中の新薬イフィナタマブ デルクステカン (I-DXd) での治療を開始する予定です(毎週1回の点滴; 6 回投与して 1 回休みを繰り返す).

10-06:  ランダムな選択の結果,残念ながら対照群のパクリタキセルを投与することになりました(週1回ごと6回).

12-26 ~ 2026-01-23:  パクリタキセルが効かず,下顎腺が腫れてきたので,4 回で投与を中断しました.残念ながら,治験も中止です.

2026-01-24:  MRI 検査をしたところ,第二頸椎に骨の厚さの半分ほどの深さまで癌が浸潤していました(深刻).

02-02~09:  首の腫れた部分への放射線治療をしました.

02-02〜:  オキシコドン系の麻薬(オキノーム)を使い,その後,同系統の麻薬(オキシコンチン)を使って痛みを除去しました.

02-04:  整形外科でネックカラー(頸椎固定用シーネ)を提供されました.痛みの解消にとても有効です.
おそらく,治療はここまでです.

現状

2024-08-26〜2025-03-26:  入院中も退院後も体調は良いです.吐き気は全くありません. たまにしゃっくりが出るのと,入院中および退院直後の便秘に困ったくらいです. それも退院後 5 日ほどたてば治りました. 首のリンパ節は,まだ外から見て分かるほど腫れています.

2025-03-27〜:  やっと酒がおいしく飲めるようになりました.でも,酒量は減っています.(化学療法をしている時は,点滴のための入院中は当然ながら全く飲めませんでした.退院しても,1週間くらいは何となく気持ちが悪くてあまり飲めませんでした.そもそも,あまり飲みたくありませんでした.その状態から回復して飲めるようになった頃には,また次の入院治療に入るということが繰り返されました.)肝機能が低下しているのでしょう.腎機能も低下しています.

2025-07-04〜:  ほぼ完全に酒がおいしく飲めるようになりました.酒量はだいぶ戻っています.肝機能が回復したのでしょう.腎機能はもともと低かったらしく,今回は CT 検査のときに造影剤のヨウ素がぎりぎりアウトで注入できませんでした.

2025-10-02〜:  左耳の後ろが痛みます.頭痛もあり,左頭頂部が痛みます.酔うと痛みが増すので,あまり酒を飲まなくなりました.

2026-02-02〜:  粉末の麻薬(オキノーム散)を使って痛みがなくなりましたが,使用量が一定せず嘔吐をしました. その後,同系統で錠剤の麻薬(オキシコンチン)を使って痛みがない状態が安定しました.

なお,アルコールは禁止されていません. キックボクシングジムにも行っています. 今のところ,痛みや嚥下のしにくさ(胸のつかえ感)などは全くありません. 脱毛などの顕著な副作用は出ていません.2024 年の冬にはすっかり白髪になりましたが,気にはしていませんでした.標準治療が終了してから,髪の色は回復しました. 味覚障害が起こることだけが唯一の気がかりでした.

嚥下のしにくさなどが全くないのは幸いです. ほとんど脱毛し,残った髪は白髪になりましたが,気にしてはいません. 味覚障害も起こっていません. 痛みは完全にコントロールできています. ただ,ネックカラーを着けたので,それが目立つようになりました.

ストレスをなくして毎日を愉しく過ごせば,寛解することもないわけではありません. 抗がん剤で内臓が傷めつけられないうちに,友人たちと楽しく語らい,美味しい料理とお酒を飲みたいと思い,毎日をその予約と遂行で忙しく過ごしています.

状況はかなり深刻ですが,全く悲観はしていません.人はもともと必ず死ぬものであり,その原因と時期がほぼ確定しただけのことです. 誰もが生まれたときに老衰という徐々に進行して必ず死に至る【病気】に罹っており,それから逃れることはできません. 私は,それとは異なるゴールに早めに到達することになっただけです.

近況

2025 年の元旦には,初日の出を見に,夜中から寒中をバイクで丹沢の大山に行きました. よく晴れていたので,地平線(房総半島)に日が上がりました.

お詫び

以上,驚かせて申し訳ありません. 暗くなるような話で誠に恐縮です.しかし, いきなり最期のお知らせをする前に, 状況をお知らせしておくほうがよいと思った次第です. どうぞお赦しください.

また,このページを昨年(2025 年)の 6 月から 9 月まで 3 か月以上更新せず,10 月から今年(2026 年)の 2 月まで更新していませんでした.更新がたいへん遅れたことを,深くお詫びいたします.

簡易な報告はここまでです →  簡易版


治療実績

抗がん剤(3種の標準治療)6 コースの実績(2024 年)

  1. 08-26〜09-02(8 日間) この後 21 日空き ← ここだけ4人部屋.以後は個室.
  2. 09-24〜09-30(7 日間) この後 14 日空き ← ここからシスプラチンを 75% に減量.
  3. 10-15〜10-22(8 日間) この後 22 日空き
  4. 11-14〜11-20(7 日間) この後 14 日空き
  5. 12-05〜12-11(7 日間) この後 25 日空き ← ここからシスプラチンを 50% に減量.
  6. 01-06〜01-12(7 日間)

第 2, 4, 6 コース開始の遅延理由

放射線(X 線)治療の実績(2025 年, 30 回)

  1. 02-04〜02-24(平日, 13 回) 左顎後ろのリンパ節だけに放射線治療をしました.
  2. 02-25〜03-19(平日, 17 回) 照射範囲を縮小していました.

抗がん剤(5-FU だけ)2 コースの実績(2025 年)

  1. 02-05〜02-09(5 日間) この後 23 日空き
  2. 03-05〜03-09(5 日間) これで終了

抗がん剤(パクリタキセル)4 回(2026 年)

放射線(X 線)治療(2026 年, 5 回)

今後の予定


戒名

やがて葬式をするかどうかも分かりませんが,戒名は授かることにしました. ご存じのとおり,戒名は生前でも仏教に帰依したら授かるものです.(「良寛」や「一休宗純」,「信玄」や「道三」もそうですね.)

私個人は,もはや真言宗ではなく,曹洞宗に傾倒しています.きらびやかな衣よりも,墨染めの衣のほうが好きなのです.駒澤大学にいる間に,任意の研修で永平寺に行って早朝から参禅し,大学で仏教と曹洞宗を学習しているうちに,自然にそうなりました.

曹洞宗や臨済宗などのいわゆる禅宗は,宗教というよりも哲学です.念仏を唱えれば救われるというのではなく,自分で悟らなくてはなりません(私はそう思っています).ヨーロッパやスタンフォード大学などでも Zen の講義があり,多くの学生が履修しています.日本は遅れているのかもしれません.

富山県の高岡市にある曹洞宗「宗圓寺」の副住職に戒名をお願いしました.彼は,私が駒澤大学に就職したときに情報センターで受付アルバイトをしていた仏教学部の学生でした.そのとき,戒名をつけてもらうなら,この学生に頼もうと決めていたのです. 2024 年の秋に副住職と銀座で会い,後日授けていただいた戒名はこれです:

聴雨庵心月永照居士

よくある「院号」ではなく「庵号」にしていただきました.「聴雨庵」は,私が世田谷区で住んでいた古マンションの部屋に付けた名前です.ちょうど入居時に横浜美術館で見た小早川清の日本画の題名「聴雨」から取りました.「心月永照」という名前(道号・戒名)の 4 文字は,提案された 3 案から選んだもので,気に入っています.

2024 年 10 月 8 日に高岡市「宗圓寺」で戒名の受渡式がありました.その後,副住職と新高岡駅そばのおいしい鮨屋で酒宴をしてきました.1泊して,翌日は近くの増山城(越中三大山城)に行ってきました.堀の深い,とても良い城でした.

虫の声 堀ごとにあり 増山城   —— 溪春

西村 和夫(心月永照)



付録

付録 1.  物理化学の散歩道

腫瘍の部位を確認するために,ポジトロン断層法 (PET) による検査を受けました. 自分の体内でフッ素の放射性同位元素 18F が酸素 16O に崩壊していると思うと,なんだかワクワクする気がしました. しかも,理論でしか見たことのない陽電子と電子が衝突して消滅し,ガンマ線を正反対方向に2本射出するのです. (その2点を直線で結ぶことによって,フッ素 18F の位置が特定できるというわけです.) だから,当日の私は2時間ほどガンマ線を多量に放射していたはずです. 蛍光塗料を塗ったら,光ったかもしれません.

付録 2.  私の心理と死の受容

私は癌の発見から今まで,一度も動揺したことがありません. 臨床心理学でいう典型的な 否認 → 怒り → 取引き → 抑うつ → 受容 というプロセスを経ずに, いきなり死を受容しているのだと思います. たぶん,それはすでに人は必ず死ぬことを識っていたからでしょう. 医師も,病名を告知するときに同席した薬剤師も不思議に思ったようです. 看護師たちも,不思議に思うようです.

日本の曹洞宗の開祖道元が著した『正法眼蔵』から抜き出して明治時代に編纂した『修証義』という短い書物があります. その書き出しはこうです:

生を明らめ 死を明きらむるは 仏家の一大事因縁なり.
生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし.
(ただ)生死すなわち涅槃と心得て,
生死として厭(いと)うべきもなく,
涅槃として欣(ねご)うべきもなし.
(この)時初めて生死を離るる分(ぶん)あり.
(ただ)一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし.

「一大事因縁」は熟語であって,最上級に大事だということのようです. 詳しい説明は,ここをご覧ください: 曹洞宗 貞昌院 [修証義(しゅしょうぎ)]

私なりの解釈では,生と死とは表裏一体であり, 生があるから死があり,死があるから生があるわけです. 別に死を忌み嫌う必要はありません.単に死があるだけです. 人は皆,平等に死に至ります.それが自然であって,人は元々そういうものです. ですから,生死にこだわらず,生死への思いから離れるのが良いのです.

織田信長は小唄「死のうは一定(いちじょう)……」を好んだそうです(『信長公記』による). 信長は,教育係の沢彦宗恩から,臨済宗(同じく禅の一宗派)の生死感を教わっていたのでしょう.

付録 3.  受戒の画像

Google ドライブ上に,「2024-10-08_受戒」を作成しました. 受戒の様子をご覧ください. 私1人のために,友人の僧が「般若心経」を読経してくださっています. 「洒水(しゃすい)」の儀式は,洗礼とよく似ています.額に花で水を3回付けます. 残念ながらカメラマンがいなかったので,洒水シーンの画像はありません.

私の Facebook の 10月8日 を見ると,上と同じ画像が載っていて,画像ごとにコメントが付いています.もし Facebook のアカウントをおもちなら,こちらのほうがよいでしょう.


Web ページにした理由

この報告は,メールや SNS で読まされるのは辛いという方もいるでしょうから,読みたくなったら読める Web ページに仕立てました. 逆に,尋ねたいけれど聞くのは憚られるという方もいるでしょう. Wikipedia などが参照できるのもメリットです.

今後,メールなどでのお知らせはしないつもりです. また,このページは 1~3 週間ごとに更新する予定です.


参照情報: 西村和夫, 西村和夫の状況(詳細版), 2026-02-15, https://kazov.site/Nis/situation/details.html

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