飯塚館
いいつか だて

論文と縄張図
改訂: 2010-08-20

使用している城郭用語の概説

dot 論考.doc (29KB) …… 下記文書と同一(ただし,縦書き,漢数字)

発表: 『東国の中世城郭中世城郭研究会, 2010-07-30, p. 33.

飯塚館

西村 和夫

(1) 所在地: 茨城県小美玉市上玉里(地図
(2) 標高/比高 26m/16m
(3) 主要参考文献: 茨城県『重要遺跡報告書』II(城館編)1985
(4) 掲載した国土地理院発行 1/25,000 地形図の図名: 石岡

飯塚館の縄張り図 - 西村和夫 2010

 大掾氏の一族か家臣が住んでいたらしい.全体が二重のに囲まれていたと思われる城である.3の西側の二重堀がほぼ最高所に尾根に沿って掘られているのが興味深い.郭3が最も高く,郭1,郭2と,順にほぼ 5 メートルずつ低くなっている.
 郭1はきれいに削平されており,ここに飯塚家の先祖が住んでいたという伝承がある.尾根の中腹にあるように見えるが,d付近の土塁・堀が外にふくらんでいるので,もともと支尾根があった位置であろう.郭3との間の堀はdまで続いていた可能性がある.
 郭2東側の道路付近はかなり削られている.当時は台地eが南方に続き,郭3と対称的に郭2を囲んでいたかもしれない.
 郭3の 2 箇所の開口部は破壊であり,木を伐り出した道と思われる.開口部aは土塁の破壊であろう.bの堀とその両側の土塁は当時のものらしく見える.fは土塁の一部のようにも見えるが,土質が軟らかいので,後世に浚渫した土を積んだものかもしれない.

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