城見学のすすめ
西村 和夫
天守がなくても巨額の築城工事
城というと,たいていの人が「天守」を思い浮かべるでしょう。でも,織田信長が安土城を造るまでは「天主」はなかったのです。防御構造物として重要なのは,堀と土塁と虎口(こぐち=出入口)です。これらの構造の巧みさが見えるようになると,城はとてもおもしろいものです。構造を読み解くのは,きわめて論理的な,どちらかといえば理系の作業でしょう。
天守などの建物のない城の数は,日本中に2万とも3万とも言われています。地図やガイドブックなどでは,建物があるのを「城」,ないのを「城跡」と使い分けていることが多いのですが,我々はすべて「城」と呼んでいます。現在は,防御構造物として使われている城はないのですから,いわばすべてが城跡です。唯一,江戸城西の丸が,天皇の警備のために使われている現役の城でしょうか。
城は,当時の為政者が文字通り「命懸け」で築いたものです。ですから,いろいろな工夫がしてあります。土塁の屈曲(横矢掛)や虎口にある土橋と桝形,馬出しなど,観察するものを魅了させます。また,建造には巨費がかかりました。ショベルカーやダンプトラックのない時代に堀や土塁を築くには,莫大な人件費がかかったのです。そういう高額なオーダーメイドの構造物ですから,観ておもしろくない訳がありません。
城の構造の巧みさと美しさ
私が城に興味をもったのは,国宝天守のある犬山城をじっくり観てからです。学会で犬山市に行ったとき,博物館もないので,余った時間に犬山城に行ってみました。大手道を天守に向かっていくと,道が曲がっている箇所があります。なぜここで曲がっているのかとじっくり考えると,なるほど防御上の工夫だということが解りました。それ以来,出張の機会があるごとに各地の城に行って,縄張りを観察するようになりました。400 年前に築城した武将の設計意図を推定するのは,なかなか楽しいものです。
もちろん,近世城郭の石垣の美しい稜線,目地の模様や石の色あいも好きです。石垣を観るにあたっては,西洋流のシンメトリーや煉瓦の整った積み方が美しいという観点から観てはいけません。龍安寺の石庭や,刀の刃文を観るような,「乱れ」,「のたれ」が美しいという観点が必要です。いったん城石垣の目地の美しさを感じるようになると,その鑑賞はたいそう楽しいものです。美しい石垣はたくさんありますが,手近なところでは,桜田門の櫓台の石垣が見事です。現在は排気でくすんでいますが,よく見ると赤や緑などいろいろな色の石が使ってあり,マチュピチュの石垣のように,きれいに切り接いであります。
学者の中に隠れた城好きは多く,大駒先生もそのお一人です。ドイツからのご帰国後に,ノイシュバンシュタイン城などのスライドを見せてくださったことを覚えています。柳井浩先生も城好きのようで,OR 学会誌に「石垣の曲線」という論文を書いています。
縄張り図を描く
城の構造を表現する手段として「縄張り図」があります。城の平面図です。既成の縄張り図を見ていると,どうも実際と違っている図があります。そこで,自分で描くようになりました。その挙句「中世城郭研究会」にも入会してしまいました。(中世城郭研究会は,入会金を払えば入れる会ではありません。見習い期間を経てやっと入会できました。)
2010 年 7 月に中世城郭研究会が『東国の中世城郭』という本を出しました。その中に,私の描いた城が二つ載っています。一つは,日吉に近い,横浜市港北区の「小机城」です。ウェブにも載っているので,ご覧ください。キーワード「東国の中世城郭」で検索すると,城の一覧表の神奈川県の部分に載っています。また,機会があれば,その図を印刷して,実際に小机城に行ってみてください。場所は,横浜線の小机駅から徒歩 10 分弱で,日産スタジアムから西に 900 メートルです。第三京浜道路を通ったことがあれば,「本丸」脇の破壊された部分を通過しているはずです。港北インターチェンジのすぐ先の切通しがそうです。なお,小机城の城主には,近ごろ若い女性に人気のある北条氏康の子,三郎(後の上杉景虎(1))もいました。
城見学は身体と頭脳のスポーツ
城見学は,健康に良いスポーツです。山城に行くと,適度な運動になります。しかも,登山とは異なり,少し歩いては立ち止まって考えたり写真を写したりするので,あまり激しい運動にはなりません。空気も良いし,弁当を持参するので,交通費以外に費用がかかりません。しかも,けっこう頭を使うので,老化の防止に役立つでしょう。
もし縄張り図も描けば,切岸や竪堀(たてぼり)をすべて登ったり下りたりするのが,平地を歩くよりもよい脚の運動になります。自分のペースで登り,頻繁に立ち止まって図を描くので,息切れするようなことはありません。歳をとってからでもできる良いスポーツです。
城見学は,暑い時期には向きません。夏の山城には,蚊や蜘蛛や蜂がいます。落葉して遺構が見やすい 11 月から 4 月までが見学によい時期です。夏場は,しかたがないので,公園になっているような近世城郭に行くことが多くなります。
東京近郊にお住まいの方は,手はじめに江戸城に行ってみてはいかがでしょうか。入城は無料で,平日の昼休みには,弁当を使っている OL がいます。江戸城は,外国人向けの旅行ガイドブックには必ず載っていますが,日本人向けの本にはなぜか載っていません。ヨーロッパ人は,観光地の城を見慣れているので,江戸城にも興味をもつ人が多いようです。入口の門は 3 箇所あって,大手町にある大手門,毎日新聞社前の平河門,国立近代美術館そばの搦手(からめて)門です。建物や塀はほとんど残っていませんが,濠と石垣はみごとなものです。中之門の巨石など,どうやって運搬したのか不思議です。巨大な天守台の石垣を見ると,ここに天守が建っていたらよいだろうなと思います。
福澤諭吉訳の築城書
なお,福澤諭吉が『福翁自傳』に書いている,家老の倅の奥平壱岐から借りて 20〜30 日で写したというオランダ語の書籍は,なんと西洋の城に関するものでした(「築城書を盗写す」の項)。これを去年(2)の国立博物館での「福沢諭吉展」で見たときはとても驚きました。何しろ,城好きが見ればすぐ分かる西洋式の城郭図が載っているのですから。さすがに福澤先生,とてもきれいな模写でした。福澤先生の翻訳は,「ペル築城書」として『福澤諭吉全集』第 7 巻に載っています。なお,この書籍は,大鳥圭介訳『築城典刑』として出版され,五稜郭築城の参考になった資料として知られています。