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全国城郭研究者セミナーの理念と 20 年のあゆみ

更新 2008-10-04 ← 2005-01-31

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理念だけ

 全国城郭研究者セミナーの理念と 20 年の歩み

中世城郭研究会 八巻 孝夫 

2003 年のセミナーは、第 20 回という記念すべき大会でした。思えば、この第 20 回のセミナーを迎えるまでに、さまざまな障害がありましたが、一つずつそれを克服してきました。これも参加者一人一人の御協力の賜と感謝しております。

ところで、第 20 回を迎えるにあたり、この全国城郭研究者セミナーがどのような経緯で発足したのか、そこにはどんな理念があったかということをもう一度確認することは、決して無駄なことではないでしょう。既に 20 年もたっているので、参加者の多くの方は、そのような経緯や理念を御存じないと思われるからです。

さて、まず第 1 回セミナーが行われた 1984 年(昭和 59)以前 10 年間の城郭研究の現状はどうだったでしょうか。

縄張図の方面からいうと、伊礼正雄さんの『関東合戦記』『多摩地方の山城跡』が 1974 年に出版され、その鋭い分析が大きな波紋を巻き起こしました。'77 年には、伊藤正一さんの論文「戦国期山城の畝形施設について」が発表され、この不思議な遺構に研究者は驚いたものでした。またそれまでの城郭研究の集成をねらった『日本城郭大系』の刊行開始も '79 年でしたし、私ども倭城研究のまとめである『倭城 I』も同じ年でした。

県別の悉皆調査も進み、1976 年の『三重の中世城館』、'78 年に『熊本の中世城跡』、県ではありませんが、'79 年には小浜市の『若狭の中世城館』も刊行されました。以後、秋田県、静岡県、兵庫県、栃木県、長野県、青森県と続々と刊行され、それぞれ精粗はあるものの初めての県の城郭の大成ができあがっていったインパクトはすごいものでした。

一方、考古学のほうでも、新たな注目すべき城郭発掘が 1975 年の熊本県の『竹崎城』、栃木県の『石那田館』、山梨県の『勝沼氏館』と続き、豊かな成果が発表され始めました。

また歴史の方面からも、村田修三さんが 1980 年に論文「城跡調査と戦国史研究」を発表され、城郭研究を日本史研究の中に位置づけられたのも大きなうねりとなりました。

こうしたさまざまな動きの中で、私ども中世城郭研究会でも、縄張研究、考古学研究、文献史学のそれぞれの方面からクロスオーバーしていく場の必要があるのではないかとの意見が高まってきました。しかし、何分弱体な組織ですから、そんな大きな会が運営できるかどうかは問題でした。喧々囂々の議論の末、とにかくやろうではないかとの意見が通り、城郭研究の全国大会を開催することになったわけです。

そして、その名前も「全国城郭研究者セミナー」と決まりました。「全国」は列島のすべての城郭研究者とすべての城郭を対象とすることですし、「城郭」も時代を特定する中世などをつけなかったのも、全時代を対象としたいという願いでした。「研究者」としたのは、研究者、特に「」に力点がありました。これは個々の研究「者」を大事にしていきたいという思いでした。名称一つとっても、さまざまな思いをこめたわけです。

 また、開催にあたっては、いくつかの理念を貫徹することを考えました。その重要ないくつかを紹介しましょう。
  1. 城郭研究の最新の成果が得られる場にしよう。これは、いつも憶することなく最新の問題点にチャレンジしようということでした。
  2. 発表者には、考古学文献史学縄張研究者を選んでいこう。最初からの考えでクロスオーバーを狙っていたので、これは当然でした。
  3. 縄張研究者は公的には恵まれない場合が多いので、特に地方の研究者に光を当てよう。縄張研究者の多くは、別に仕事を持っているので日曜だけフィールドに出て縄張図を描いているのです。また研究環境も恵まれているとはいえません。特に地方の研究者にそれは顕著なので、ぜひそういった人たちに光を当てたいというのが狙いでした。
  4. 少数精鋭でいこう。これは高いレベルでの研究会にしようとしたのでしたが、結局は財政面からもそうはいかず、大きな会にならざるを得ませんでした。
  5. 大会につきものの記念講演はやめよう。こういった大会には必ずえらい先生の講演がつきものでした。私たちは研究者は平等と思っていますから、例えどんなにえらい先生でも記念講演ではなく、一研究者として発表していただくことにしたのです。
  6. 手造りの会にし、中城研はボランティアに徹しよう。これは会費をあまり高くできないので、とにかく冗費を抑えようということでした。最初のうちはレジメのコピーも手分けして 10 円コピーにいったり、冊子にするのも手作業でやったものでした。たれ幕などもすべて手書きでした。
  7. なるべく一箇所に泊まり、夜を徹して話そう。とにかく、城郭研究者は、城の話に飢えていますから、同じホテルで泊まり、夜を徹して語りあかそうということでした。東京ではヒルポートホテルがあり、最近までそれは可能でしたが、最近はそれが難しくなってきました。
  8. なるべく批判しあって、一歩前進をめざそう。城郭研究はなれあいでは困るので、とにかく批判しあうことにより、研究を進化させたいと願ったのですが、第 1 回のセミナーでは、それが大きく出すぎてしまい、一部の方に不興をかってしまいました。そんなこともあり、今では静かに批判することになっています。
  9. 地方開催でもテーマは全国的なものにしよう。セミナーを開催していくうちに、地方でやるときは、その地方だけのテーマをもとめられるだろう。でもそのようなローカルなだけのテーマは歯をくいしばってやめようということです。これも 20 年間守ってきました。
  10. 研究会なので、報告者には申し訳ないが交通費、宿泊代は自弁をお願いする。運営費が少ないので、どうしてもこうせざるを得ませんでした。これも 20 年間お願いしています。
  11. 発表者は全国からバランスよく選ぼう。どうしても発表者は片寄りがちなので、大体ではありますが、地方ごとに代表を決め、発表してもらっています。これは今でもそうです。
  12. セミナーの日程は極力 8 月の第 1 土、日に固定しよう。とにかく弱小な研究会の大会ですから、開催日時を固定して参加者の予定がたてやすいようにしようということです。これは何回か、どうしても無理でずらしたことはありますが、概ね 8 月の第 1 土、日は守っています。

以上の 12 点ですが、とにかくそのまま守り続けたことやあまり守れなかったこともあります。でも、何とかこの理念は大幅な変更もなくやってきたような気がします。

 さて、これからの展望です。以上の理念をもう一度見直すと、これからもこの理念の原点に帰ることによって、また新たなチャレンジができそうな気がしてきました。特に 1. の「城郭研究の最新の成果が得られる場にしよう」を合言葉に、なおセミナーを発展させていきたいと思っています。御協力を心よりお願い申し上げます。

八巻孝夫「全国城郭研究者セミナーの理念と20年の歩み」『中世城郭研究』第18号, 2004, p. 276 から

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