1984 年の全国城郭研究者セミナーの開催にあたっては、いくつかの理念を貫徹することを考えました。その重要ないくつかを紹介しましょう。
- 城郭研究の最新の成果が得られる場にしよう。これは、いつも憶することなく最新の問題点にチャレンジしようということでした。
- 発表者には、考古学、文献史学、縄張研究者を選んでいこう。最初からの考えでクロスオーバーを狙っていたので、これは当然でした。
- 地方開催でもテーマは全国的なものにしよう。セミナーを開催していくうちに、地方でやるときは、その地方だけのテーマをもとめられるだろう。でもそのようなローカルなだけのテーマは歯をくいしばってやめようということです。これも 20 年間守ってきました。
- 発表者は全国からバランスよく選ぼう。どうしても発表者は片寄りがちなので、大体ではありますが、地方ごとに代表を決め、発表してもらっています。これは今でもそうです。
- 大会につきものの記念講演はやめよう。こういった大会には必ずえらい先生の講演がつきものでした。私たちは研究者は平等と思っていますから、例えどんなにえらい先生でも記念講演ではなく、一研究者として発表していただくことにしたのです。
- 少数精鋭でいこう。これは高いレベルでの研究会にしようとしたのでしたが、結局は財政面からもそうはいかず、大きな会にならざるを得ませんでした。
- 縄張研究者は公的には恵まれない場合が多いので、特に地方の研究者に光を当てよう。縄張研究者の多くは、別に仕事を持っているので日曜だけフィールドに出て縄張図を描いているのです。また研究環境も恵まれているとはいえません。特に地方の研究者にそれは顕著なので、ぜひそういった人たちに光を当てたいというのが狙いでした。
- 手造りの会にし、中城研はボランティアに徹しよう。これは会費をあまり高くできないので、とにかく冗費を抑えようということでした。最初のうちはレジメのコピーも手分けして 10 円コピーにいったり、冊子にするのも手作業でやったものでした。たれ幕などもすべて手書きでした。
- 研究会なので、報告者には申し訳ないが交通費、宿泊代は自弁をお願いする。運営費が少ないので、どうしてもこうせざるを得ませんでした。これも 20 年間お願いしています。
- なるべく一箇所に泊まり、夜を徹して話そう。とにかく、城郭研究者は、城の話に飢えていますから、同じホテルで泊まり、夜を徹して語りあかそうということでした。東京ではヒルポートホテルがあり、最近までそれは可能でしたが、最近はそれが難しくなってきました。
- なるべく批判しあって、一歩前進をめざそう。城郭研究はなれあいでは困るので、とにかく批判しあうことにより、研究を進化させたいと願ったのですが、第 1 回のセミナーでは、それが大きく出すぎてしまい、一部の方に不興をかってしまいました。そんなこともあり、今では静かに批判することになっています。
- セミナーの日程は極力 8 月の第 1 土、日に固定しよう。とにかく弱小な研究会の大会ですから、開催日時を固定して参加者の予定がたてやすいようにしようということです。これは何回か、どうしても無理でずらしたことはありますが、概ね 8 月の第 1 土、日は守っています。
以上の 12 点ですが、とにかくそのまま守り続けたことやあまり守れなかったこともあります。でも、何とかこの理念は大幅な変更もなくやってきたような気がします。